私ならこう語る。
「目的はなんでしたか。そうですね。保護者の皆さんを感動させること。早速何ができるか考え動いている人がいますね。では、ききます。
上手く歌われるのと下手に歌われるのはどっちが感動しそうですか。 そうですね。
では、ここにみんなと同じ6年生が歌った動画があります。(流す)どうでしたか。 当日保護者のみなさんに聞かせます。感動しそうですか。 上手くなくていい。下手でもよくない。
なぜ保護者のみなさんは感動するのですか?
本番皆さんの姿を期待しています。
さぁ、どうぞ。」
誰がどうなるという他者を動かすミッションは、自分の努力でどうこうできる問題ではない。『嫌われる勇気』で述べられているいわゆる「課題の分離」というものだ。
では、それを自分の課題に落とし込んでいかにそのミッションを達成するかが表向き表現だ。本質は、感動させることがどれだけ自分を幸せにするか。保護者との関係もしかり、ミッションの達成過程での友達との関係もしかり。自分の行動が自分の生き方、集団の生き方に関わり幸せへの第一歩となる。
子どもたちが最期のとき、「あー、幸せだったなあ、」と思わず言葉が滴ることを願う。